ちりめんの歴史

丹後ちりめんの歴史

丹後産地のあゆみ

  • 西暦
  • 年号
  • 主なできごと
  • 711
  • 和銅
  • 4
  • 元明天皇は丹波(のちの丹後)・但馬など21ヶ国に挑文師(あやとりし)をつかわし、錦綾を織ることを習わせたとあり、この当時が丹後における絹織物生産の起源と思われる。
  • 739
  • 天平
  • 11
  • 丹後国竹野郡鳥取郷(京丹後市弥栄町鳥取)より「絁(あしぎぬ)」が朝廷に調貢され、いまも奈良正倉院に保存されている。この絁が、丹後で生産された現存する最も古い絹織物。
  • 1320
  • 元応
  • 僧玄慧作「庭訓往来」に当時の丹後の代表的な絹織物「丹後精好織」が京都の「七座の店」で商われたとある。
  • 1470
  • 文明
  • 2
  • この頃、与謝郡世屋谷地区で「藤織り」が織り始められたとある。
  • 1719
  • 享保
  • 5
  • 4
  • 丹後機業の衰退、大飢饉の窮状を救うため、京都・西陣で「ちりめん織り」の技法を学んでいた郷土人の絹屋佐平治は丹後へ帰り、今までにない独特の風合をもったちりめん織に成功し、この技法を丹後の機屋に広く伝授した。なお、初めて織ったちりめん布は祈願の地、禅定寺(京丹後市峰山町小西)に納め、現在も寺宝として保存されている。
  • 1722
  • 7
  • 8
  • 絹屋佐平治とは別に加悦谷の木綿屋六右衛門は、手米屋小右衛門、山本屋佐兵衛を京都西陣に送り、ちりめんの製法を習得させ、帰郷後、独特の「シボ」を持ったちりめん織を織り始めた。
    *絹屋佐平治をはじめ、これら3人を『丹後ちりめんの始祖』と称し、始祖顕彰碑を建立(1964年、京丹後市峰山町杉谷)した。
  • 1730
  • 15
  • 峰山藩主の京極高長は絹屋佐平治の功績を讃え、自筆で「お召、ちりめんや」の暖簾と「ちりめんや」の屋号を与えた。また、佐平治は森田治郎兵衛と名乗り、屋号を「ちりめんや」に改めた。なお、暖簾は紺地に文字を白抜きしたものであったが、丹後大震災(昭和2年)で焼失した。
  • 1789
  • 寛政
  • 12
  • 峰山藩は藩令により「反別検査と改印制」を実施して粗製らん造を防ぐことにした。この制度が丹後ちりめんの「品質検査制度」の始まりで、丹後機業史の中で画期的な制度の実現と云われている。
  • 1870
  • 明治
  • 3
  • 京都で精練していた縮緬を丹後で行うべく、丹後の仲買業者の一部が精練業を開業し始める。この年が丹後における国練(くにねり)の始まりであり、京都からの難引、返品を阻止する目的であった。
    *「国練」=丹後で製織した縮緬を丹後で精練すること。
  • 1886
  • 19
  • 絹紡糸を使った「絹紡ちりめん」の製織に成功し、一躍当時の主流商品となる。
  • 1893
  • 26
  • この頃、与謝郡に「ジャカード」が京都より導入され、紋織物の研究が始められた。
  • 1905
  • 38
  • 「絽縮緬」の製織に成功し、昭和初期まで全盛を極める。
  • 1906
  • 39
  • 2
  • 京都府織物試験場の建物が完成し、業務開始。
  • 1921
  • 大正
  • 10
  • 9
  • 「国練検査」制度の確立を図るため、各郡にあった同業組合が大同団結し「丹後縮緬同業組合」を設立。(現在の丹後織物工業組合の前身誕生)
    初代組合長に、非業界人の弁護士 津原武氏が就任した。
  • 1922
  • 11
  • 6
  • 「丹後縮緬公報」(現在の組合機関誌の前身)が発行される。
  • 1925
  • 14
  • 3
  • 金・銀糸を織り込む縫取ちりめんが創案され、その後丹後の主流商品となった。
  • 1927
  • 昭和
  • 2
  • 3
  • 丹後大震災が発生し産地機業は大打撃を受ける。
    (3月7日 午後6時27分)
     丹後機業の損害
    全組合員 1,537戸の内 全焼・全壊 882戸 半焼・半壊 293戸
     全織機数 5,596台の内 全焼・全壊 3,632台 半焼・半壊 886台
    その後、京都府並びに各業界からの支援により、丹後産地は驚異的な復興を遂げる。
  • 1928
  • 3
  • 9
  • 組合による「国練検査制度」全面実施。丹後ちりめんは組合が丹後で精練し、検査を直接行うこととなる。
  • 1935
  • 10
  • 6
  • 丹後ちりめん小唄が発表され、レコードを作製した。
  • 1940
  • 15
  • 7
  • 奢侈品等製造販売規則の公布(七・七禁令)により、縫取ちりめんなどが製造販売禁止となり大打撃を受ける。
  • 1941
  • 16
  • 12
  • 戦力増強企業整備により、組合員1,678名は企業統合を強制され175名となる。
  • 1943
  • 18
  • この年の戦力増強金属回収により全織機の約60%を供出した。
  • 1949
  • 24
  • 3
  • 戦後の丹後機業の復興計画として「丹後機業振興五カ年計画」を策定。
  • 1950
  • 25
  • この頃より、京都西陣の先染織物が丹後へ出機として盛んに導入され始めた。
  • 1951
  • 26
  • 11
  • 天皇陛下関西行幸のみぎり、丹後機業の復興状況視察のため組合本部へ行幸される。
  • 1953
  • 28
  • 5
  • 組合初代理事長の津原武氏が逝去。丹後機業の振興発展に寄与された功績により、「丹後織物中興の祖」とした。
  • 9
  • 丹後ちりめんの宣伝ポスターを戦後初めて作製。(モデル 有馬稲子)
    この年、銀河ちりめんが考案され、格調高い高級縫取ちりめんの新機軸を開いた。
  • 1955
  • 30
  • 丹後ちりめん宣伝の画期的事業として「丹後ちりめん女王」を全国より募集。
  • 1957
  • 32
  • 縮みやすい「一越ちりめん」を改良した「変り無地ちりめん」が製織される。
  • 1959
  • 34
  • 丹後産地の目標を「総合産地体制の確立」とし、本絹はもとより化合繊、先染織物の導入と染色設備の増強を図ることにした。
  • 1963
  • 38
  • 4
  • 丹後絹人絹織物調整組合と丹後織物工業協同組合が合併して「丹後織物工業組合」が誕生した。
     組合員数 4,976名 織機台数 20,809台
  • 1964
  • 39
  • 東京オリンピックの開催により後染きものブームとなり、丹後ちりめんは近年にない好況を呈した。
  • 1965
  • 40
  • 5
  • 丹後ちりめん創業250年を記念し建設を進めていた丹後織物福祉センター、組合本部事務所及び「ちりめん苑」が完成し盛大に記念式典を開催。
  • 1973
  • 48
  • 生糸価格の暴騰が続いたことでちりめんの仮需要が発生し、丹後機業有史以来の好景気となり、白生地生産量は史上最高の920万反(1反13m換算)を記録した。以降、国民の生活様式の変化により丹後ちりめんの販売が落ち込み、長期不況に陥る。
  • 1974
  • 49
  • 銀無地ちりめん流行。
  • 8
  • 国内の養蚕農家保護のため、生糸の一元化輸入措置が発動される。
  • 1977
  • 52
  • 10
  • 「丹後機業の将来ビジョン」が策定され、総合産地化が提唱される。
  • 12
  • 初めて絹織物設備共同廃棄が実施される。(以後、昭和62年まで続く。)
  • 1979
  • 54
  • 5
  • 東京駅構内に電飾PR看板、阪神甲子園球場の外野スタンドにPR看板を掲出。
  • 1982
  • 57
  • 綸光ちりめん流行。
  • 1988
  • 63
  • 紋紙からコンピュータ制御によるダイレクトジャカードの導入が急増する。
  • 1995
  • 平成
  • 7
  • 9
  • 丹工ブランドマークを一新し、新ブランドマークへ移行。(現在のブランドマーク)
  • 1997
  • 9
  • 1
  • 白生地織物の生産数量算出基準を変更。
    一反あたり長さ13m・幅37㎝。
  • 1999
  • 11
  • 3
  • (財)絹人繊織物検査協会による統一検査が廃止され、組合独自の検査基準に基づく「丹後統一検査」を実施。
  • 7
  • 「丹後ちりめん」が団体商標として商標登録される。
  • 2000
  • 12
  • 1
  • 丹後織物求評会を初めて集散地の京都市で開催するとともに、丹後きものまつりも日本三景の一つ「天橋立」に会場を移し開催。
  • 8
  • 産地のシンボル的存在であった組合本部建物・土地を売却し、中央加工場敷地内へ移転。
  • 2001
  • 13
  • 3
  • 丹後ちりめんから人体に極めて有用な「絹セリシン」の抽出に成功し、「きぬもよふ」ブランドでスキンケア化粧品を商品化し販売開始。
  • 6
  • 網野加工場を閉鎖し、中央加工場へ統合。組合直営の精練工場は2工場となり、本絹織物は中央加工場、化合繊織物は岩滝加工場とそれぞれ特化した工場となる。
  • 2002
  • 14
  • 丹後ちりめん反末に「日本の絹」マークの押捺開始。
  • 2005
  • 17
  • 1
  • 1月1日より絹織物・絹撚糸の輸入が完全自由化され、絹織物の輸入が急増。
  • 10
  • 第9回「きものサミット」を丹後産地で初開催。『きものサイコー もっとファッショナブルに もっとリーズナブルに』をテーマに全国の和装関係者が丹後に参集した。
  • 2006
  • 18
  • 11
  • 「丹後ちりめん」が京都府より「京もの指定工芸品」に認定される。
  • 2008
  • 20
  • 4
  • 生糸の輸入制度が実需者輸入割当制度から関税割当制度へ移行。
  • 10
  • 国練検査80周年記念式典を「ちりめん苑」内の国練検査記念碑前にて挙行。
  • 2011
  • 23
  • 10
  • 組合創立90周年記念式典を開催。
  • 2014
  • 26
  • 10
  • 丹後地区内織物業の家内労働者に適用される最低工賃が13年ぶりに改定され、大幅に引き上げられるとともに名称も「京都府丹後地区絹織物業最低工賃」へ変更される。
  • 12
  • 「丹後の職人」認定制度、「丹後ちりめんきもの大賞」表彰制度を創設し、第1回目の認定式と表彰式を挙行。
  • 2015
  • 27
  • 8
  • 丹後ちりめん創業300年に向けた統一ロゴを、丹後の織物業界と関係の深い府立峰山高校書道部に依頼し、ロゴが完成した。
  • 2017
  • 29
  • 1
  • 丹後ちりめん創業300年に向けて丹工、京都府・丹後2市2町、関係団体による「丹後ちりめん創業300年事業実行委員会」が設立される。
  • 4
  • 京都府が文化庁へ申請していた『300年を紡ぐ絹が織り成す丹後ちりめん回廊』が日本遺産(Japan Heritage)に認定された。丹後ちりめんが育んだ丹後2市2町の歴史的な有形、無形の文化財を一つのストーリーに仕立てたもの。(構成文化財 48件)
  • 2018
  • 30
  • 4
  • 丹後ちりめん始祖の一人である森田治郎兵衛翁が禅定寺に奉納した「丹後ちりめん」と、その伝承を記した「紙本墨書小西山縁起」が京丹後市の指定文化財に指定された。
  • 7
  • 日本遺産事業として制作された新ロゴ「Tango Open」の制作発表会を東京にて開催。